多くの方々に支えられ、更なるITの未来へ 取締役事業部長 坂口憲一

最初の転機“新卒で貿易会社へ。2年目で子会社の設立を命じられました!”

信州大学在学中にロシア連邦サンクト・ペテルブルグ国立大学に留学(10ヶ月)した後、大学卒業とともに大陸貿易株式会社に新卒で入社いたしました。入社する際には、“日本とロシアの架け橋”として貿易商社マンになることを夢見ていたのですが、現実は大きく異なりました。
もともと私は高校時代からコンピュータを専門に学ぶ情報処理学科に在籍し、国家試験合格やC言語・COBOL・マクロアセンブラ等でプログラミングを学んできました。そのため、入社と同時に社長直轄の情報システム開発室の設立と配属が決まりました。
入社1年目は、財務会計や人事給与システムの移行(オフコンからクライアント・サーバ型システムへ)、木材部販売管理システムの基本設計作業を行いました。
ところが、入社2年目のある日。1週間の外部技術研修から戻ってきた月曜日の朝に、急きょ、先代社長との面談があり、その場で子会社(ソフトウェア開発)の設立と取締役就任を命じられました。子会社設立の目的は、「グループ全体の新たな収益基盤の確立」であり、子会社に対する経営方針は「既存事業とは全く異なる新しい事業分野への進出」でした。一言で簡単に表すと、「自分で飯を食え!」ということでした。
これには、私も相当驚きました。これからは、自分で営業をして仕事を得る必要があります。何の実績もないソフトウェア会社が、どのように営業をしていけば良いのか、まったく分かりませんでした。不安が募るばかりの日々が続き、転職も真剣に考えましたが、「若いから、なんとかなるかな」と、私なりに挑戦することを決めました。
そして、1997年11月、株式会社テクノソリューションを設立し、取締役に就任しました。

すべてはお客様から学んだ“私たちは多くの方々に支えられている、そして企業も1人では生きていけない”

当時はインターネットや電子メールが定着しつつある段階でしたが、連絡手段としては電話やFAXがまだまだ主流でした。そこで、新聞の求人広告と私自身の履歴書を用意して、求人募集を掲載しているソフトウェア会社に電話攻勢をかけました。しかし、ほとんどは門前払いばかりです。“雇ってくれ!”ではなく、“仕事をくれ!”と言っているのと同じでしたからね。無名のソフトウェア会社には誰も仕事を出してくれませんでした。しかし、“捨てる神あれば、拾う神あり”とは本当で、私と面談していただける社長と出会うことができました。それが最初のご縁となり、某外資系コンピュータ会社のサーバ構築プロジェクトに参画することができました。
その現場では、成果に対する厳しい要求と評価がありましたが、誰よりも朝早く出社して、私が担当するアプリケーション開発を進めました。少しずつ周りの方々にも認められ、食事や温泉旅行にも誘われるようになりました。また現場のリーダーからは、いつも「現場で、現物をみて、現実の対応をしろ!」と注意されてばかりいました。何かあれば、すぐに現場(お客様)のもとに駆けつけ、臨機応変に対応することの大切さを学びました。
なお、余談ですが、いまでも当時のメンバーとの交流は続いており、毎年、リーダーとも年賀状を交わしています。

その後、グループウェアの代表格であるLotus Notes/Domino(当時)を学ぶ機会に出会ったことが、当社の事業に大きなチャンスを与えてくれました。当時はEUC(End User Computing)の全盛期で、企業内の各現場(部署)に適したアプリケーションを現場主体で開発することが多く、Lotus Notes/Dominoをベースにしたアプリケーション開発の仕事を依頼されるようになったのです。しかし、「工数(人日・人月)」という言葉もよく分からず、ソフトウェア開発における見積書の書き方さえも知りませんでしたので、お客様に教えてもらいながら作成したこともありました。
そして、会社から現金100万円を預かり、急いで秋葉原に向かい、受託開発に必要な機材やソフトウェアを買ってきました。当時は自作パソコンの方が安かったので、社内で利用するパソコンやサーバはすべて私が組み立てました。時間が経つのも忘れて、パソコンの組み立てやソフトウェア開発に没頭していた時期でした。
ある日、システムの動作仕様のことで、お客様(総務部長)と揉める出来事がありました。私の方から、「仕様上の制約があるため、この機能を利用する際には、ボタンを1回だけ押してください」と話したところ、お客様から、「坂口さん、あなたは簡単にボタンを1回押してくれ、1回押せばそれで済むような言い方をするが、社員500名が毎回このボタンを押すのに1秒かかるとしたら、1日・1ヶ月・1年間でどのくらいの人件費が発生すると考えているのかね」とお叱りを受けました。お客様の業務内容やさまざまな負担を一切考慮せずに、私たちは当たり前のように「システムの仕様が...」という言い訳をしていることに気づかされました。その日から、まずは「お客様の業務内容・課題・要望を適切に理解する」ことを心掛けるようになりました。そして、「私たちが開発するシステムに対して、お客様は何を期待しているのか、どこに価値があるのか」を考えるようにしています。
なお、これも余談なのですが、お客様先でシステムの導入作業をしているときのことでした。妊娠中の私の妻が予定よりも早く破水してしまい、そのまま緊急入院することになってしまいました。義母から緊急連絡を受けたあと、お叱りを受けた総務部長様から、「坂口さん、システムの導入作業はほぼ終わったから、早く奥さんのところに行きなさい。出産に立ち会えないと、一生後悔するぞ!」と背中を押してくれました。慌てて新幹線に飛び乗って、妻のところへ向かいました。私には2人の子供がいるのですが、2人とも出産に立ち会うことができ、父親になる喜びと責任の重大さを噛みしめることができました。当時の総務部長様とは長らくお会いしていませんが、たいへん感謝しています。

その後、ITバブルの崩壊等で受注案件が大幅に減少し、業績面でも厳しい時期がありました。その頃に感じたことは、「下請け業務から脱却して、自分たちで案件を直接受注しなければならない」ということでした。
私は大手精密機械メーカーの研修センター管理システムの開発を通じて、「人材育成」に興味をもっていました。そこで、人材育成の費用対効果を明確に算段できる業種に対して、システム導入の提案営業を行うことにしたのです。結果的に、このアプローチは私たちにとって貴重な成功体験として成果を出すことができました。具体的には、美容業界における認定資格管理システムの構築と運用を手掛けることになったのです。そのときのアプローチを以下にご紹介します。

ITバブルの崩壊“システム導入の提案営業、その時のアプローチとは?

①個人の成果が組織の成果に大きく貢献する仕事を、従業員みんなで話し合いました。
その結果、当時、老若男女を問わず人気が高まっている美容業界に着目することにしました。
②市場規模や市場特性について、統計資料による定量調査と女性従業員からのヒアリングによる定性調査を行いました。
そして、私自身も美容サービスを実際に体験しました。
③一般消費者のニーズに対する美容業界の現状と問題点、その解決方法を提案資料にまとめました。
④専門雑誌や業界紙を発行する複数の出版社に意見を求めました。
また、美容業界専門やベンチャー支援のコンサルタントにも意見を求め、サロン経営者への面談の機会を得ることもできました。しかし、提案内容に対する評価は非常に厳しく、門前払いもあれば、提案内容を何度も修正することもありました。
⑤コツコツと足で稼いだ情報を効果的に活用しました。
ある展示会に参加した際、何気なく手にした業界紙の記事に驚きました。母校の教授のお名前が掲載されていたのです。早速、私の恩師に手紙を書いたところ、教授との面談が実現しました。私たちの想いを伝え、ご指導をお願いしたところ、管轄省庁の担当者をご紹介いただきました。そして、管轄省庁でプレゼンテーションを実施したあと、ある業界団体をご紹介いただきました。
最終的に競合他社との比較検討の結果、私たちの提案が採用され、数万人の個人情報を管理する大規模な認定資格管理システムの開発と運用の受注に成功したのです。

次にチャレンジしたことは、「自分たちの製品を作り、育てていこう」ということでした。 これも「人材育成」に関することなのですが、某大手電機メーカーから1万人弱の技術者育成を支援するシステム開発を受注しました。受注後、約4年間にわたって、開発・現場導入・改修を繰り返してきました。当時、要件定義やシステム設計の段階から、「技術者育成」に関してお客様とも徹底的に議論を交わして、具体的なシステム機能へと落とし込んでいきました。打ち合わせが深夜近くにおよぶことも多々ありましたが、次第に私たちを「パートナー」として認識していただけるようになりました。開発途中でのレビューで仕様漏れが判明し、納期までに間に合うかどうかの判断を迫られた際、最終的には「坂口さん、あなたが大丈夫というのであれば、坂口さんを信じます」と任されたこともありました。また、システム導入前の総合テストでも、夜遅くまでお客様自らが1つ1つチェックして導入検証を行うなど、お客様の全面的なサポートを得ながら、システム開発を慎重かつ着実に進めていきました。その結果、誕生したのが「人材育成支援システム・教育カルテ」なのです。 お客様の技術者教育の根幹となる基幹システムであるため、お互いに相当なプレッシャーもありましたが、苦楽を分かち合う関係となりました。教育カルテの導入に関して、人工知能学会の研究会でお客様が自ら発表いただいたこともありました。さらに、プロジェクトの節目では、みんなで温泉旅行に何回か出かけ、親睦を深めていきました。 すでにプロジェクトは終了し、お客様のなかには定年退職を迎えた方もいらっしゃいますが、ときどき仕事上の情報交換でお会いする方もいますし、メールやSNSで個人的に情報交換する方もいらっしゃいます。

さらに、この「教育カルテ」は商標登録・特許登録を経て、製品化しました。 販売直後は具体的な引き合いがいくつかありましたが、リーマン・ショックの発生後、すべての引き合いがなくなってしまいました。その後も同業者の方々が教育カルテの良さを評価していただき、東京や地方都市で製品セミナーを開催したり、導入検討企業に対して一緒に提案営業を進めたりしたなど、さまざまなご支援をいただいたのですが、何をやってもまったく成果を出すことができませんでした。残念ながら、当時は過去最悪の業績不振に陥り、当社内でも「失敗作」のレッテルを貼られてしまいました。 ところが、ある日、某公的研究機関の人事担当者様から一本の電話が突然ありました。人工知能学会で発表した論文を見て興味があるので、製品説明とデモをして欲しい、とのご依頼でした。そして、このときのご縁が奇跡を生んだのです。教育カルテの機能や諸条件に関する審査および入札を経て、最終的に教育カルテが正式に採用されました。 私たちの製品が、国を代表する公的研究機関に採用されたのです。採用決定の一報を聞いたときには、嬉しさが込み上げてきて、これまでの苦労が一気に吹き飛びました。夢を見ているような感覚でした。しかし、そのときに真っ先に頭に浮かんだのは、教育カルテを一緒に開発したお客様と提案営業を支えてくれた同業者の方々でした。早速、みなさまに連絡をとり、お礼方々、あのときのご支援に対して改めて感謝を伝えました。 そして、納期までの約3ヶ月間、ほぼ一日も休まずに開発作業を進めました。開発作業も多くの仲間に助けていただき、なんとか間に合うことができました。 私はこの出来事を通じて、「私たちは多くの方々に支えられている」ことを再認識しました。企業もまた一人では生きていけないのです。自社だけの利益を追求してはいけません。陽に当たらないときの努力を決して否定するのではなく、「何かできるのではないか」と手を差し伸べることが大切ではないか、と改めて思いました。 ご指導・ご支援くださった多くの方々に改めて感謝申し上げます。

「社員を信じる」ことの重要性“一人ひとりのパフォーマンスを引き出すことによるお客様への満足度”

今年で当社は、設立満20年を迎えますが、決して順風満帆といえる状況ではありません。これまで、私は業績不振やプロジェクトで問題が発生するたびに、社員を怒鳴っていました。「自分はこんなにも頑張っているのに、どうして皆は頑張らないのか」と不満ばかりが募っていました。そして、私の体重も96kg前後にまで増え、痛風を発症してしまいました。
リーマン・ショック直後の深刻な業績不振を招いたことで、給料も大幅にダウンし、イライラが最高潮に達したとき、「皆が悪いのではなく、自分が悪いのではないか」とふっと思うようになりました。そして、仕事に対する取り組み方や考え方、日常生活をすべて見直すことにしました。最も大きな変革は、「社員を信じる」と決めたことでした。最終的な責任は私にありますが、仕事の進め方やミスが発生した場合のフォローなど、できるだけ社員の自主性に任せる決断をしました。
一方で、企業経営に関する知識や考え方を体系的に学ぶことと、同じような志向をもった仲間を探そうということで、国家資格の中小企業診断士を受験することにしました。平日は18時で帰宅し、週末も受験勉強に専念するため、仕事の段取りや配分をどのようにすれば良いのかを自分なりに工夫していきました。診断士受験の専門学校に通い、新たな仲間もできました。このときが人生のなかで最も勉強した時期でもあり、仕事と勉強の両立に苦しめられましたが、とても充実した2年間でした。

いつまでも悪いことが続く訳ではありません。公的研究機関での教育カルテ採用を皮切りに、新たなお客様や仕事とのご縁が広がってきています。
いまでは外資系製薬企業様のさまざまな情報システムを弊社のデータセンターにて開発・運用しておりますし、複数の大学や公的研究機関とのお取引も増えています。
当社には、正社員の他にも派遣社員やアルバイト(学生)もいます。システム開発技術の習得レベルや得手不得手はもちろんのこと、家庭環境や仕事に対する考え方なども十人十色です。一人ひとりの特徴を認めつつ、各自のパフォーマンスを引き出して、小さな会社といえども会社全体としてのパフォーマンスを上げて、お客様にご満足いただけるソリューションを提供していくことが、私の重要な任務だと考えています。

新しい挑戦に向けて“生体センシング研究開発チームの発足”

既存の事業をおろそかにせず、これまでの経験や知見を活かして、新たな領域に挑むことにしました。
近年、ビッグデータや人工知能、ロボットなどに代表されるように、私たちの日常生活とIT(情報技術)との関わり合いが大きく変貌しようとしています。しかし、ITに対する人々の期待や評価は高まっているにもかかわらず、いまソフトウェア技術者の多くがメンタルヘルス問題に悩んでいます。少子高齢化が進み、生産性向上が急務な日本においても、ITの重要性はますます高まっているのですが、それを下支えするソフトウェア技術者の多くが疲弊しています。
私はソフトウェア技術者のメンタルヘルス改善を社会的課題と位置づけ、生体センシング技術を活用して、メンタルヘルス問題の原因究明と疾病になる前の早期発見を支援していきたいと考えています。
現実世界(アナログ)における事象や情報を仮想世界(デジタル)に変換するのがソフトウェア技術者の仕事だと考えているのですが、ソフトウェア技術者の脳内における思考や変換過程、熟練技術者と非熟練技術者との差異はよく分かっていないのが実情です。そのため、さまざまな開発手法や標準化が提案されていますが、ソフトウェア開発現場は属人的な依存体質から脱却できていません。
2017年11月より、当社内に「生体センシング研究開発チーム」を発足しました。大学や公的研究機関との連携関係を強化して、日本経済の重要なインフラであるITを人材面から下支えすることで、当社も社会貢献を担えるように頑張っていきたいと思います。

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